2017年によく聴いた曲について

去年のポスト数、4件だってよ。どんどん筆が進まなくなってきている今日この頃です。
音楽もすっかり聴かなくなったしなあ。今年はストリーミングにでも手を出してみようかな。
  


2017年の一発目にやられたのは江本祐介のこの曲。
曲から歌詞から何一つ嫌味のない青春という感じで、その清涼感が夏に飲むカルピスソーダみたいに中毒性になる。
文化祭までの七日間を長まわしで撮りきってしまうMVも素敵で、ナウいセンスをうらやましい。
昨年はpaymoのCMも手掛けていましたし、2018年は広く大衆を甘酸っぱい気持ちにさせてくれるのでしょう。
 
 

2017年を振り返る時期になって、またよく耳にするようになった『La La Land』のこのテーマソング。
陽気でラテンなリズムと階段状に高揚していくメロディーラインが心地よく、正直にいうと、いつもこっそりと小躍りをしている。
一方で、ふいに孤独の気配をまとう瞬間があって、本編同様、夢を追う者の切なさを巧妙に表している。
そしてその切なさが、なぜだかたまらなく好ましく感じる一年だったのです。
 
 

アジカンの後藤やくるりの岸田らがTwitterでこぞって絶賛していたことが強く印象に残っている。
そういうわけで、CHAIはもうすっかり流行に追いつけなくなってしまった僕が、ほぼ唯一知る今どきのバンドです。
奇抜なビジュアルとジェンダーを全面に押し出すリリックは聴き手を選ぶかもしれないが、楽曲は普遍的なクオリティを持っていると思う。
キャッチーなメロディーに、奥行きのあるサウンドスケープ。豊潤なコーラスワークは、ビートルズよろしくどこかメランコリックでもある。
何より好ましいのはそれらを土台として支える骨太なグルーブで、それは彼女たちの気骨そのものの現れであるようにも思えるのです。
そういうわけで僕は彼女たちのある種の男らしさに惹かれている部分があって、いくらか倒錯した心境ではあります。
 
 

よく見ているということは、それだけ相手との間に距離があるということでもある。映画『勝手にふるえてろ』を観ながら思ったことです。
中学時代の片思いを忘れられずに早10年。しかし、念願叶って話した相手には名前すら覚えられていなかったーー。
映画はその後また劇的な展開を迎えていくのですが、もしあの失恋シーンがクライマックスなら、柴田聡子「後悔」はエンディングにうってつけの曲だったでしょう。
 
“バッティングセンターでスウィング見て以来 実は抱きしめたくなってた”
 
こんなマニアックな着眼点は、まさにヨシカの視野(見)そのまま。
 
一方で、相手との距離が埋めがたいものであるということも、薄々自覚はしているのです。

“ああ、手を取り合うこともないけど 夢のようにただ楽しいね” ”ここから幸せ祈ってる 遠くのあの子に祈ってる”
 
だがしかし、諦めなんてそう簡単につくものでもない。
 
“ああ 抱きしめていれば 抱きしめ合ってれば 自然と本気に”
 
それは潮のようなもので、引いたとてまた満ちるから、厄介きわまりないのでしょうな。
 
 

この平々凡々な暮らしをいかに肯定すればよいのかは、誰しもが週に一回くらい頭を抱える厄介な問題ですよね。
シャムキャッツは、日常の中でふとした瞬間に現れる美しさを切り出し、再描写することをその問いの回答にしているのです。
ここ数年、僕はその手法にすがりっぱなしで、彼らにはずいぶん助けられているなあとしみじみ思います。
「Travel Agency」は淡々とした楽曲の中にパンチラインがひしめいていて、特に”恋人に触れるように 暗闇に手を伸ばせ”という一節は、額縁に入れて飾っておきたいくらい。
 
 

ミツメの曲はたぶんいつも現実から半歩くらいずれている。
その地に足がつかない感じ、文字通りの浮遊感が心地よいから、彼らの曲は病みつきになるのだと思っております。
「エスパー」はそんな彼らの楽曲の中でも、群を抜いてキャッチーなメロディーで、おまけに
“時には君を知りすぎたつもりなのに 瞳の奥になにもかもわからなくて”
みたいな、センチメンタルなリリックもついている。
そこにあの浮遊感が合わさると、さながら上質なジュブナイル作品のようで、どうにも初々しい高揚感を覚えてしまうのです。
スカートの澤部渡はこの曲が280万枚くらい売れてほしいと言っていたけれど、それはとても妥当なラインじゃないでしょうか。


 
新年一発目の映画が『秒速5センチメートル』という非常に不吉なスタートを切ってしまったので、あの結末を反面教師にしながら今年もぼちぼち過ごしていきたいと思います。
 
 

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