2016年の邦楽を振り返る

気付けば二月になっていて、もうそろそろやめにしてもいいんじゃないかなあ、と思いつつも、今年もどうにかこの投稿に至りました。
年々、何をするにも億劫になっていって、めぼしい思い出もなくなってきているのですが、
せめて、その時何を好きだと感じていたのか、後でそれくらいは振り返ることができるように、本年もどうにか立ちはだかっていきたいと思います。
そういうわけで、2016年印象に残った邦楽を総括します。

 

 
発売は1月ながら、最後まで一番印象に残ったのはsuchmosの「STAY TUNE」かもしれない。
ビートが洒落れば洒落るほど、それに乗る歌への期待値は高まるわけだけれど、それを平然と上回ってくるYONCEのパフォーマンスがすさまじい。
日本語と英語の間に全く境目を感じさせない。どちらもひっくるめて独自の言語を構築しているかのよう。
そして、振る舞いから漂うその創造に対する圧倒的な自信。なにもかもがカリスマのそれである。
世間に公開されてから一年が経った今でも、いたるところで楽曲を耳にする。むしろ以前より耳にする機会が増えた気すらする。
端的に、それだけのポテンシャルがこの曲にはあったのだと思う。
 

 
2016年はめぼしいニューカマーがほとんど現れなかった一方で、ベテランの活躍が目立ったように感じた。
とりわけ際立っていたのが、サニーデイ・サービスで、なかでも「セツナ」は圧倒的だったと思う。
シンプルなバンド編成から織りなされるアンニュイなサウンドは、これといった起伏もなく、淡々と流れていくが、その泰然自若な様にただならぬダンディズムが漂う。バンドの円熟からくる色気がある。
MVの不機嫌な野良猫みたいな顔で一心不乱に踊る廣田朋菜と、同じ楽曲をまるまる二回流すというイカれた発想も愛おしい。
 

 
同じくベテランでいえば、スピッツの「みなと」には強い感銘を受けた。
震災から五年がたち、多くの大衆芸術が改めてそれに触れたなかで、スピッツのこの曲だけが死者に対して真っすぐに向き合っていたと思う。
「みなと」とは、旅人が異なる世界へ繰り出す場所で、それを見送る人がいる場所でもある。
だから、そこはちょうど境目なのである。死者に最も近い場所で、ただ、向こう側に行くことはできない。
そのどうしようもなさの中で、「目を閉じてゼロから百までやり直す」。
無力でも、僕は彼らに一番託したいと思う。
 

 
bonobosはこれまで全く追っかけたことがなかったのだが、たまたま耳にした「Cruisin’ Cruisin’」は本当にすてきな曲だった。
洒脱で技巧的なサウンドは、ここ数年のインディーロックシーンとの共振がありつつも、彼らとは異なる体温と東京への愛がある。
特に「いつだって愛は可能」というフレーズからは、茫洋とした宇宙空間で「愛は観測可能な力」と力強く謳いあげた『インターステラー』のあのときめきを思い出す。
 

 
インディーロック界隈は、2015年のcero『Obscure Ride』で一服の感もあり、近年の中では静かな一年だったように思う。
それでも未だに優れた才能はぽつぽつと頭角を現していて、Taiko Super Kicksもその中に含まれる。
なかでも。「釘が抜けたなら」がとりわけすばらしい(厳密には15年の曲なのは見逃していただきたい)。
フォーキーで温かみのあるサウンドだが、同時にそれは四畳半の閉塞も孕んでいて、初期のくるりがやってのけたような、現代を生きる若者の逃れがたい日常との対峙を巧みに表現している。
たまらなく泣きたくなってくるが、しかし涙がこぼれてこない。そういう人生もあるのだと思う。
 

 
インディーロックのシーンでいえば、スピッツのアルバムにも参加していたスカートの「CALL」も優れていた。
澤部渡は野球で例えれば、ストレートとフォークだけでバンバン三振を奪えるクローザーだと思う。
音源の数は少なくとも、一音一音に独特の温度があり、それらを配球とコントロールの妙で豊潤な物語に鍛錬してしまう。
最小の素材で最高の仕事をする、昔気質な職人肌の音楽家である。
さらに「CALL」関していえば、映像もむちゃくちゃよく、夜の自動販売機の前で二人の少女がついに出会う瞬間は何度見てもグッときてしまう。個人的にはベストMV2016。
 

 
2016年の最後の最後に発表された曲ですが、締めにはこれしかないという感じ。D.A.Nの「SSWB」。
アルコールの酩酊と、ヤニ臭さと、クラブミュージックの洗練と。夜の歓楽街のあらゆるムードが、音楽的に再構築されている。
10年代前半のシティポップが、鳥瞰的なまなざしで、ときに多元的な技法を交えながら現実を批評するものであったならば、D.A.Nの音楽は、その試みを注視したうえで、反対に、ゆるぎなく存在するいま、この瞬間へのコミットメントに力を注いでいるように思える。
批評では、この夜の退屈を退けることはできない。その冷静な現実認識から、いまのこの瞬間のグッドサウンドを求道しているのではないか。
時代の熱量が過剰に増していく中で、この禁欲的なシニシズムは、次なるシーンを形成するかもしれない。本曲の怪しく、不敵なビートはそんな予感を抱かせてくれる。
 
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本年も、たくましく生きていきましょう。
 

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