2015年を振り返る――「J-POP2.0」によせて

「堂々とした」アーティストが増えたなあと、感じる一年だった。
 
逆にいえば、00年代後半以降、自信がないことの裏返しのように、過激な音や言葉で間を埋めるアーティストが多かったように思う。
そんな彼らの態度の根底にあったのは、邦楽が洋楽の模倣でしかないというアイデンティティの不在ではなかったか。
 

 

80年代はバブルやポストモダニズム的言説の後ろ盾によって、90年代は音楽業界全体の活況によって、その残酷な宿命から目を逸らすことができたが、00年代においてJ-POPの限界性が露呈してから――より正確にはJ-POPは「パクリ」の文化であるという認識が衆目の間で一致するようになってから――、その「恥」の意識から逃れようとするかのごとく、J-POPやその消費者をネタ的に嘲り笑うような楽曲が増えたように思う。
 
しかし、どうやらデジタルネイティブ世代の若者たちが、そんな不毛なメタポジションの取り合いに終止符を打とうとしているらしい。
多感な学生時代から動画サイトがあることが当たり前の世代の中では、もはや邦楽も洋楽も等価な存在なのだろう。
国境のないデータベースそのものがルーツである彼らは、日本人としての「恥」を知覚することはないのだ。
10年代も後半に突入したが、どうやら邦楽はこの辺りから新たな時代に突入していくらしい。
 

 
そんな時代の代表格はやはり、Awesome City Clubだろう。
80年代アメリカンポップス的な爽やかさは完全に洋のセンスだが、口ずさみやすいメロディーラインと「繋がり」のジレンマに悩む歌詞はいかにも日本的だ。
それを正面衝突させ、痛快なキラーチューンへと止揚させてしまうのだから恐れ入る。
長らく止まっていたJ-POPの時計の針は、ようやくここから動き出していく。
 

 
「堂々とした」をキーワードとするならば、Suchmosを欠かすことはできない。
骨太でブラックなビートとYONCEの立ち振る舞いには、ジャミロクワイへのリスペクトあっても、恥や畏れといったものは全く感じられない。
このいい意味で日本人離れしたマッチョなカリスマ性は、昨今の群雄割拠のインディーシーンでも見当たることはなかったものだ。
 

 
2014年に平賀さち枝とコラボしたシングル「白い光の朝に」で確変に突入した感のあるHomecomingsだが、2015年もその天衣無縫っぷりを存分に見せつけてくれた。
瑞々しいギターの音幕を背に、畳野が日本語英語で人懐こいメロディーを歌い上げると、逞しさと愛らしさを同居させた涙をこらえる少年のような印象を与えるのだから、不思議だ。
日本語英語だからこそ生みだせるノスタルジア――僕らが嘲り、切り捨ててきたものの中に、次の時代へのヒントは散りばめられていたりする。
 
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さて、「堂々とした」が時代の変化を指し示すマクロなキーワードであるとすれば、ミクロな(というか個人的な)キーワードは「夜」だった。
ハーゲンダッツのCMソングは、柴崎コウの演技も含め最高だったなー。)
 

 
既に一度紹介しているが、Lucky Tapesの「Touch!」はその代表格にあたる。
高橋海と寺岡歩美による艶かしいハーモニーを、ダンディズムを纏ったグルーブが淡々と下支えする。
夜な夜な行われるブルジョワ達のパーティーを想起させる音像は、しかし背後にフィッツジェラルドの小説のような絶望を孕んでもいる。
 

 
ここまで紹介した他のトラックに比べると、あまり取り沙汰されることはなかったが、ropesの「dialogue」と出会えたのは個人的には大きな喜びだった。
アチコの神秘的でどこか寄る辺ない歌声と、暖色の街灯のような戸高のギターの音色が紡ぎだす音像は、「touch!」とは対照的に、夜明けの街の温もりのようなものをまとっている。
 
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そして、僕が夜深の静けさを湛えたビッグバンド・ジャズ「roof」の素晴らしさを再発見している間に、ceroは名盤『My Lost City』を越え、さらなる高みへと上りつめていた。
 

 
該博なライターのようにヒップホップの唱法を細解する技能が僕にはないのだが、一つ確かに言えるのは、高城が獲得した黒人的なフィジカルの背後には、確かに梅雨のメロウネスが刻み込まれているということ。
詩文的な表現に逃避するのならば、季節そのものを帯びることで、彼らは邦楽を固有の音楽ジャンルとして存立せしめている。
「歴史に残る」ではなく、「歴史が変わる」音楽。そう言いきってしまってもいいのかもしれない。
 
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高橋健太郎によれば、「民主主義って何だ/これだ!」という16分の裏からメロディーが始まる複雑なコールが、今や路上でアカペラで歌われているという。※1
年末の紅白歌合戦では、向井秀徳が椎名林檎の曲目に突如現れ、”繰り返される諸行は無常 よみがえる性的衝動”と歌っていった。
 
もしかすると、J-POPの死とは邦楽の終わりではなく、始まりだったのではないかもしれない。
2015年、「J-POP2.0」とでも呼ぶべきものの微かな産声を、僕は確かに聴きとったのだった。
 
 
※1 『MUSIC MAGAZINE』の2015年12月号

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