「下から上」の陥穽

某音楽ライターの『海街diary』批判が、ずいぶんと手厳しい。一連のツイートの中で一体何度「ゴミ」とつぶやいたのやら。
僕含め、音楽ライターとしての彼へはリスペクトを払いつつも、今回の発言には眉をひそめたフォロワーも少なくないのではないかと思う。


 
ちなみに、彼は特に長澤まさみの生足から始まる冒頭のカットが嫌いらしいのだが、僕は賛同できない。
卑猥とか下品というよりは、あのカットには原初的な美しさのようなものが濃縮されていると、個人的には思っている。
(インディーロック、特にシャムキャッツとか、好きな層は刺さるフィーリングな気がするんだけどなあ。)
 

 
この小さな事件(?)に際して、僕はなぜだか東日本大震災直後のロックミュージシャンによる原発批判を思い出した。
特に他者のツイートを黙々と拡散していたとあるバンドのメンバーが印象深い。
彼のリツイートの多くは表面的には左派的な思想と結びついていたが、その情報源のとりとめのなさは、論理に裏打ちされた非難ではなく、「大きなもの」からの脅威に対するなかば本能的な「闘争」であることを物語っていたように思う。
 
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そういえば、この間「長渕剛=日本のブルース・スプリングスティーンという説」という優れたまとめ記事に目を通した。
この中で、Cdb氏の「まるでオセロの真ん中にあるコマのように、彼ら(長渕的なアーティストの支持者)はどっちの陣営(右翼/左翼)にも奪われ得る」という指摘が尾を引いている。
 
彼らが長渕的なアーティストを熱く支持している理由は、政治的な主張の内実ではなく、「下から上」へのエネルギーにあるらしい。
そして、その「下から上」の熱量は、驚くほど横軸の問題――思想的な右左以前に、日常生活における他者との関係性――に無頓着だったりする。
 

 
僕もロックを聴きながら(とはいってもほとんど邦楽だが)、ここまで育ってきた人間で、やはりその「下から上」のエネルギーにほだされていることは否めない。
現に、会話の中では驚くほど罵詈雑言が多いし、音楽や映画などのサブカルチャーについての言及でも、ひどく汚い言葉を使ってしまうこともある。
 
ただ、あまりにも当たり前のことなのだが、僕らが刀を振り下ろしているものの背後には、それを支える僕らと同じ市井の人がいるのだった。
だから、使う道具はもう少し考えなければいけないなと思う。
理由もなく斬りつけられるのは痛いし、なにより悲しかった。
 

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